遊ぶ事の大切さ

f:id:home-ed-mum:20170705194603j:plain

Importance of play

ホームスクールを始めた理由のひとつに、子供時代には思いっきり遊んで欲しいという親の欲がある。学校見学に行き、授業に参加してない退屈そうな生徒を見るたびに、教室で一日何時間も暇を持て余すくらいなら、どこかで思いっきり遊んで来た方がこの生徒にとっての有意義な一日が過ごせただろうにと勿体無く思っていた。

もちろん、暇を持て余す事も人生にとって必要不可欠なステージであると思うが、それでもやはり毎日のように教室で無駄に過ごす時間は機会損失だと感じるのはわたしだけだろうか。

 

内閣府平成19年版 国民生活白書によると、

2006年において、子どもが塾に通う割合は小学5年生で36.5%、中学2年生で42.7%である。午後7時までに帰宅するという回答が44.4%、午後9時以降の帰宅も27.6%と3割弱の子どもがよる遅くまで塾や習い事をしており、塾や習い事に通う事によって帰宅時間が遅くなり、家にいる時間が短い子どもが少なくない事がうかがえる。

 小学校高学年以降では下校後も通塾する生徒が4割を占めている状態だ。更に、中学生で部活動に参加していれば一週間のほとんどが授業、部活に塾の生活で終わってしまうのは容易に想像がつく。

 一体現代の子供達には、一週間にどれだけの自由になる時間が与えられているのだろうか。そういった状況を危惧し、昨今は遊びの重要性を説いている教育の専門家も少なくない。

数十年前には遊ぶ事は子どもが当たり前に行うものであり、その重要性を声高に叫ぶ事はなかったのだろうが、「遊んでばかりいる。」という様にネガティブなイメージを持たされてしまった「遊び」はそれをするために、わざわざ遊ぶ事に専門家からのお墨付きが必要になってしまったようだ。

    

 

また、幼児期 子どもは世界をどうつかむか (岩波新書) [ 岡本夏木 ]では、

子どもの発達には現実世界への適用する事の他に、その現実世界から飛び出し挑戦をすることで新しい世界を作り出す事が不可欠であり、それは遊びを通して展開されている。

とした上で、様々なタイプの遊びの成長過程においての重要性を説いている。心理学者のシミランスキーは「象徴遊びやごっこ遊びを全くさせなかった家庭の子どもに知能の発達の遅れが見られた。」と言っているし、教育評論家の小宮山博仁氏も著書「0歳から6歳で『本当の知能』を伸ばす本」にて遊びは集中力を養う上で非常に重要であり、遊びに没頭した経験のある子どもは高学年になってからの学力の伸び代が大きいと言っている。

 

私の子ども時代も振り返れば、遊んでばかりいた。ドッジボールばかりしていた事もあれば、放課後自転車で何時間も町中を探検していたりした。夏には近所の神社で何時間もセミを、週末は両親の店の裏の用水で魚やらカニやら汗だくになりながら一日中捕っていた。なんでそこまで必死に捕っていたのかは不明だったが、きっと狩猟採集の本能かただ単に遊ぶためだったのだろう。

養老孟司さんも共著

[http://虫捕る子だけが生き残る 「脳化社会」の子どもたちに未来はあるのか(小学館101新書) 池田清彦…:title]

でおっしゃるように、虫取りからは学べる事は非常に多い。虫取りは全身体、全神経を使ったとても高度な遊びだ。

 

どの虫と捕るかによって、出かける時間も必要な道具も違う。その虫を捕るためにトライ&エラーを繰り返しながら方法を最適化していく。虫を捕るときの動きも、背後からいく場合や正面からいく場合、ゆっくりと捕りにいく事もあれば、相手に自分の姿を見られる前に一気に網を振り下ろす事もある。捕りに行くときはもちろん、全神経を集中させなければならない。しかも、すべてがうまく行った様に思えても天候や自分でもわからない理由で虫が全く取れない事もしょっちゅうある。

 

自然を相手に遊び、自分の力ではどうにもならない事があることも学べる。そういった哲学的な面も虫取りにはある。小学校低学年、もしかしたらもっと早い時期からこれ程までに高度で集中力を要する遊びをしている訳だ。

 

私の場合も、学業は塾にも言っていたにも拘らず、小中学校と常に平均的な成績だった。勉強をしなければいけない動機付けも全くない状態で勉強しろといわれても頭に入ってこないのだ。両親も私に学業面では大して期待していなかったのだろうか。勉強をしろと言われた記憶はほとんどない。

 

ところが私は高校、大学受験の2回とも志望校が見つかると自分でも信じられない集中力を発揮し、高校も大学も成績上位者の奨学生として入学する事ができた。就職活動でもそうだった。大学3年生ともなると、OB訪問や会社説明会、エントリーシートの書き方講座で真面目な就活生は毎日とても忙しい。私はと言うと、「真面目」に遊んでいた。中国語スピーチコンテストに参加したり、オーストラリアに数ヶ月滞在したり、中国語通訳のアルバイトで台湾に出張したりと充実した生活をしていた。

 

結果的には、真面目な就職活動をしなかった間に積んだ経験が皮肉にも就職活動でとても役に立ち、希望していた商社へ就職ができた。この商社と並行してコンサルティング会社や投資銀行、海運会社の面接にも行っていたが、どこでもほぼ決まって「学生時代に何に打ち込んだか」が面接またはエントリーシートで聞かれた。

 

「何に打ち込んだか」は何かに没頭した経験のことで、何かに没頭したということは何かに集中して取り組んだということであろう。ここでも、「集中力」が物を言ったのだ。

 

私は虫取りで鍛えた集中力で遊んでばかりいた学生時代を克服したのだ。もっとも遊んでばかりいたので、集中力が鍛えられて人生の正念場で力が出せたと理解したほうが正しいのかも知れないが。

 

自身の経験を踏まえながら、遊びの専門家の意見にも支えられつつ自分の子どもには大いに遊んで遊んで遊びまくって欲しいと思って日々ホームスクールをしている。