リンダグラットン著『ライフシフト』を読んで①

ライフシフト半年前に、リンダグラットン著『ライフシフト』を読んだ。
英語の原文タイトルは『The 100-Year Life: Living and Working in an Age of Longevity』で、日本語に訳すと「人生100年。長生き時代を生きる、働く」といったところだろうか。

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先週発売の東洋経済で『ライフシフト』の特集が組まれていて日本では注目のタイトルのようだ。
。あと半年読むのが遅ければ、定価を払って400ページ強も読まなくても東洋経済だけで良かったかも知れないとちょっと切なくなったが、自身の老後と子育てにとても役立ちそうな内容だったので、私が忘れても主人が内容を覚えてくれていればと思い、Kindleで日本語版を読んだ後に、近所の図書館で英語版も主人用に借りてきた。



『ライフシフト』では、2000年以降に生まれた人口の約半分は104歳まで生きる試算に基づいて、経済的、精神的に充実した100年を生きるための戦略を紹介している。

日本では「長生きリスク」として、長寿である事に対して老後破綻や孤独死等のネガティブな印象をもって語られる事が多いが、『ライフシフト』では具体的に退職前のライフスタイルを維持するには現役時代にどの程度の貯蓄が必要なのかの世代別シミュレーションが紹介されており、「長生きリスク」を理解した上で、対策を講じていればマネージ可能なリスクであり、日本メディアの論調によって老後に
漠然とした不安を感じている日本人にはとてもおすすめの本だと思った。


この本で私なりに面白いと思った点は、


100年人生ではキャリアが一つでなくなる

オーストラリアに住んでいると、キャリアが1つだけで仕事人生を終えられる可能性の方が稀なのではとさえ思える。大学卒業後に就職した業界が衰退業界で今までのキャリアが活かせる会社がなくなり新しいスキルの獲得の為にその分野の学校へ入学したり、高卒で就職した人がよりより待遇を求めて30代に入ってから大学へ入学する話も良く聞く。

また、大企業の正社員であっても安泰ではない。企業の業績が悪化したり、部門の再編等の必要に応じた人員削減は日常茶飯事だ。人員削減の対象になった場合、勤務年数に応じた退職金をもらって退職する事となるが、日本の様にリストラが原因で自殺する話は殆ど聞かない。
寧ろ、自己都合の退職の場合は退職金が出ないのでリストラ対象になるまで粘る猛者もいるくらいだ。

100年人生を前提にした場合、日本人の様に個人のアイデンティティをひとつの組織に求める事は非常にリスクの高い試みだと言わざるを得ない。自分よりも会社が先に死んでしまう事もあるだろうし、組織由来のアイデンティティが、次の職場を探す邪魔をする事も考えられる。

私自身の経験からすると、新入社員で就職した商社で受けた新入社員研修はまさに個人のアイデンティティを組織化する為の洗脳教育だったと思っている。もともとブランド力のある大企業は、その会社が好きで入社する学生が多いのか、合宿所で朝から晩まで会社のために自分はどんな働き方ができるか、会社でどんな夢を実現したいか云々ひたすらワークショップやらレクチャーを聞かされても皆平気に、むしろ楽しそうにしている姿は私からすると異様というか恐怖であった。この会社はブラック企業ではなく、コンプライアンス部もきちんと機能している一部上場企業だ。残業代も請求すればばすんなり出るのだろうが、愛社精神か何かが邪魔をしているのか請求している社員は少数派だった。

そんな愛社教育を冷めた目で見ていた私にもかかわらず商社を退職し、8年前にオーストラリアに来た時のショックは絶大だった。
日本で会社員をしていらた頃は自己紹介は、会社名と部署を言うだけで良かったのが、オーストラリアに来たら
自分は何者かをどうやって紹介していいか分からなくて非常に戸惑った。その後オーストラリアで会社員、自営業、母親業、専業主婦を経験して行く過程で私のアイデンティティの構成要素は多様化した。今もし私がいくつかのアイデンティティ構成要素のうち、一つを失ったとしても8年前の様なショックと戸惑いを再度経験する可能性は低いだろう。一つを失ったとしてもそれが全てではないのだから。

Employablility(雇用可能性?雇用実現性?)の点で100年の人生で生涯に渡って一つの組織、一つのキャリアに固執するのはリスクが高い事はもちろんの事、個人のアイデンティティとメンタルヘルスのためにも必要に応じてキャリアチェンジを経験する事はプラスになるのではと改めて思わされた。

資産形成開始時期が早いほうが老後の蓄えには有利である事

世界はグラットン氏の意見とは反対に、資産形成の開始時期が益々遅くなっているようにみえる。

私は日本だけでなく世界的にOvereducated(教育過剰?)の傾向があり、その勢いが止まることを知らないように見える
現状を危惧している。日本では高校生の約半数が4年生大学へ入学しているし、オーストラリアでもその傾向は同じで大学進学率は
右肩上がりな状況だ。一方、需要以上の大卒生が毎年大量に供給される中で、大卒生の就職は厳しくなるばかりだ。

また、誰もがどこかの大学にはいれる「大学全入時代」では学士である事にどれだけあるだろうか。一昔前では、高卒者でもできていた仕事が今では大卒以上の学歴がないと履歴書さえも送れない状況だ。オーストラリアには日本のように企業が人を育てる文化はないので、文系新卒者の就職はとても厳しい。受付や事務の仕事であっても、それ専用の専門学校を出ていないと募集条件をクリアできないので、学士取得後に事務職の専門学校に行く学生も少なくない。

100年生きる前提で学歴取得の意味を経済的利益のみに単純化して考えると、学士、修士、博士の取得期間の逸失利益が
取得後の生涯所得を上回らない限り、学歴取得はあまり美味しい投資話ではない。特に大卒で低賃金の時間給労働をするくらいなら、中卒で7年、高卒で最低でも4年大卒より早く働き始めた方が、資産形成には有利だ。

中卒、高卒では心もとないというなら、より現実的に大学にパートタイムで通いながらインターンやアルバイトをして
資産形成の時期を早める方法もある。また、学歴取得をサポートしてくれる企業に就職する手もある。

知人の例を挙げると、数年前に不動産会社を起こした彼は、高卒で会計事務所でフルタイムで働き始め、その間にパートタイム
で大学で会計学んだ後に会計士になった。その後大手会計事務所に就職し、キャリアを積んだ後に起業し今に至っている。他にも、高卒で公務員となった後に夜間大学を卒業して転職せずに大卒の業務内容、給与体系に移行した知人もいる。主人の例を挙げると、最初の就職先は修士取得の講義出席のために仕事を抜け出す事が許可されていたし、現在は大学に研究員として勤務しながら、勤務時間内に博士論文を書いている。

働きながら学歴を取得する事は、実は資産形成を早める以外にも学歴取得時点ですでに職歴がある点で
就職に際して非常に大きなアドバンテージだ。

早期資産形成は、ホームスクーラーにとってはより身近に感じられるコンセプトでもある。
学業の傍ら家業を手伝ってお金を稼ぐこもいれば、高学年の子供が趣味の絵を低学年の子供に教えて収入を得ている子供もいる。資産と呼べる金額ではないかも知れないが、それでも今から少しずつ貯めて行けるのであれば、早期資産形成の上で有利な事は間違いない。


とても長くなってしまったので、

有形資産(簡単に言うと、お金)の形成を助ける点で無形資産の形成が重要である事

誰でもネットで調べ物が簡単にできる時代では経験学習の重要性が高くなる事

については次回に。

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