「外向的」か「内向的」か自分に対するLabelingを疑ってみる。

 

 

  •  自分は「外向的」か「内向的」か

 

私は「内向的」だと言うと、私を知っているほとんどの人は驚く。というよりも、まず信じてくれない。普段のグループセッティングでの私はどちらかと言うと良くしゃべるほうだ。面白い事を言って(多分その殆どが全く面白くないのだろうが、)その場を和ませたいと思うし、たとえ面白い事を言えなかったとしてもその場がスムーズに進行するように何か言った方が良いのであれば、多少出しゃばってでも発言するように「努めて」いる。

 

この「努めて」というのがポイントで、真正外向的人間は「努めて」発言しようとしなくても、ずっと話を続けられるらしいし、社交的な場が「好き」であるらしい。もっと言えば、社交的な場にでたり、誰かと時間を過ごしている事が彼らにとっての日常で、それを苦痛と感じないし、余暇はいつも友達や知人と過ごすのが真正外向的人間の特徴らしい。

 

 

  • 「内向的」人間のオーストラリア生活の苦労

 

そんな私がオーストラリア生活で最も困っている事の一つが「パーティー」がやたら多い事だ。誕生日、新築祝い、長期休暇祝い、クリスマス、お正月、旧正月、イースターホリデーの度に、大体誰かの家で「パーティー」が開かれる。

 

「パーティー」といってもその殆どが日本人がイメージするお洒落をして参加するような「パーティー」ではなく、デニムにTシャツでバーベキューをするのも、こちらでは「パーティー」扱いだ。残念ながら、私は庶民なので参加する殆どが冠婚葬祭を除いてデニム&Tシャツパーティーだ。幸運にも(外向的な人にとっての不幸だが、)私も主人も友達の数が多くないので、

1年に参加するパーティーは10回程度に抑えられている。一方で、真正外向的人間の知り合いの多くは月数回のパーティーを余裕でこなしているし、長期休暇シーズンなどは1日に2つのパーティーを梯子していたりする。

 

もし仮に私が真正外向的人間のパーティースケジュールをこなそうとしたら、1ヶ月で体か精神が壊れるのではないかと思う。

私は「内向的」な人間なので、基本的には一人で居る方が落ち着く。人ごみは大嫌いだし、旅行の予定を組むのならどこか景色の良い静かな所で静かに本を読んだりするだけでとても幸せな気分に浸れる事間違いなしだ。

 


 

 

  • 「外向的」>「内向的」ではない

「内向的」人間にとって残念なことに、世間では「外向的」>「内向的」と認識されている。家で一人で漫画ばっかり読んでいたり、オタクな趣味に耽っていたりすると大体の子どもが親に怒られるだろう。

 

実際私が経験した外資系投資銀行の選考プロセスでは、大学生に自分の名前の入った名刺が20枚渡され、約40分の先輩社員との立食パーティーの間に、会話を交わした先輩社員全員にその名刺を渡すというものがあった。その企業が何を見ていたか、真意は不明だが、制限時間内により多くの先輩社員と会話して、良い印象を残せるかどうかが見られていたのではないかと察する。これはもし「外向的」人間であったなら、とても自然にこなせるはずの作為だ。

 

私は世間の「外向的」>「内向的」構図を知っていたため「努めて」外交的にふるまい、その選考プロセスを突破してしまった。どのみち、次の筆記試験であえなく撤退してしまったので、この企業については結果オーライなのだが、他の企業の選考プロセスにおいても「外向的」に振舞った結果、結局は間違った企業に就職してしまったのではないかと今になって思う。

 

 

「外向的」な人間と「内向的」な人間、実世界ではどっちの人間も必要なのは間違いない。「内向的」なエンジニアが一人でいいものを作り上げたとしても、それを外に発信しなければ社会に役に立つアイデアとしては広がらない。「外向的」な人間が毎日おしゃべりばっかりしていても、イノベーションは起こしにくいだろう。

 

 

世間の「外向的」>「内向的」認識に自分を合わせる必要はない

 

ここで私が言いたいのは、どちらがより優れているかという事ではない。

世間の価値に流されて、そうでない自分を世間の価値に無理やり合わせるための苦労はしなくてもいいし、しても無駄だというと言う事を私は言いたい。

私は社交の場ではよくしゃべるし、よく笑う。会話の中心にいる事もよくある。それが「努めて」できてしまうので、いつも周りから「外向的」な人と言われ続け、それを自分自身もつい最近まで信じていた。とても明るい性格とも言われているが、ひとりの時間がなによりも好きだ。必ずしも「内向的」=「根暗」ではない。

真正外向的人間とわたしのような「見かけだけ外向的人間」の違いを挙げるとすれば、「見かけだけ外向的人間は」、社交的な場に参加すると非常に疲弊するところだ。出来る限り、多くの人と出会うイベントへの出席は避けたいし、参加したものなら翌日、翌々日、ひどいときは一週間「自分だけの」時間を持ちたい。

無理やり「内向的」人間が「外向的」人間として取り繕ったとしても、そもそも疲過ぎるし、ひどい時には間違ったキャリアやパートナーを惹きつけてしまう可能性もある。

  

  • Outgoing IntrovertsとOutgoing Extroverts

 

日本ではあまりなじみの無い言葉で、気の利いた翻訳も出来ないのは私の力不足だが、

英語にはOutgoing IntrovertsとOutgoing Extrovertsという言葉がある。

Outgoing Introvertsは外向的な内向的人間、Outgoing Extrovertsは外向的な外向的人間の意だ。もう何が言いたいのかさっぱりわからないが、Outgoing Introvertsの方は私のようなひとりの静かな時間を愛しながら、社交の場も難なくこなせてしまうために、その後非常に疲れてしまい家にこもりがちになる、またはそれがわかっているので極力社交の場に出る機会をコントロールしている人間で、Outgoing Extrovertsとは上述の真正外交人間に近い。

なんとなく、自分が「内向的」な人間なのは薄々感じていたが、如何せん物心がついてからずっと「外向的」と言われていたために、自身もそれをすっかり信じきってしまっていた。

最近になって運よくOutgoing IntrovertsとOutgoing Extrovertsの存在を知り、明るく社交的に振舞える人間が「内向的」な事はよくあると知らされた。

 

 

  • 「自分は○○な人間である」を疑う

 

 自分がどんな人間であるかについて、Labelingをする必要自体がないかも知れないが、

「外向的」や「内向的」に限らず、「私は○○と言う人間である。」と思っている節があるのなら一度その前提やそう思うに至ったプロセスを疑ってみると自分に対する面白い発見があるかもしれない。

 

参考までに英語になってしまうが、Outgoing IntrovertsとOutgoing Extrovertsについての説明が簡単にされているサイトを以下に。

www.lifehack.org

 

listaka.com